311からエンジニアが学んだこと
この記事はIT DARTアドベントカレンダーの1つだ。
2011年3月11日を忘れた人はいないだろう。
私はその時、六本木ヒルズ26階で米国から来た同僚と外部のゲスト(こちらも米国人)と打ち合わせをしていた。日本人は私1人だ。すぐに収まると思った地震が予想よりも長く続き、そしてさらに大きく。地震にはある程度慣れているつもりだったが、これはただごとじゃないと思った。米国から来た同僚はこのビルは大丈夫かと聞く。「このビルが倒れるようだったら、東京は壊滅だよ」と言ったが、私でさえ不安を感じてきた。もしかしたら本当にこのビルでさえ倒れるのではないかと不安が大きくなったころ、やっと揺れは収まった。
ネットで調べると東北が震源地らしい。そんなに遠いのに、こんなに揺れたのか。
ゲストは電話で家族と連絡をとろうとしたが、繋がらない。
米国人の同僚はSkypeが繋がり、米国の家族に自分は無事だと伝えている。
窓から外を見ると、お台場のほうで火があがっているのが見えた。下にはビルから避難した人なのか、多くの人が歩いていた。
それからのことはまだ多くの人の記憶に残っているだろう。
警察が、自衛隊が、米軍が、世界各地からのボランティアが、被災地に入り、支援を行った。自然の脅威をまざまざと見せつけられ、人の暖かみに涙した。
自治体のサイトがダウンしたのを見て、ボランティアでミラーコピーを作ったクラウドエンジニアやGoogleやYahoo! JAPANが社を上げて取り組んださまざまのIT支援。
そのようなものを見ながらも多くのエンジニアは何かしたいのに何も出来ないという無力感に苛まれていたのではないだろうか。私もそんな1人だった。
何かできないだろうか。
そんな思いで、夢中で立ち上げたのが
Hack For Japan
という活動だった。
このときのことは以下のブログ記事で紹介されている。
- Hack For Japanの軌跡 – Japan Innovation Leaders Summit 2011 8.6 satから | Hack For Japan
- Hack For Japanの軌跡 – Japan Innovation Leaders Summit 2011 – Nothing ventured, nothing gained
本当はここでメディア掲載例も紹介しようと思ったのだが、Hack For Japanサイトをリニューアルしたときに一覧を紛失してしまったうようだ。検索すればいくつかは見つかるだろうが、記録保持の大事さをわかっている自分たち自身がきちんと実践していなかった。
Hack For Japanはハッカソンにより被災地支援のツールを開発することを目的としていた。第1回目は西日本を中心に震災発生の1週間後に行った。その時にも多くのメディアに記事にしてもらった(あえて記事化を目論んだ)のだが、その1つは見つかった。次の記事だ。
T企業と開発者による復興支援プロジェクト「Hack For Japan」 – builder by ZDNet Japan
見てもらえるとわかるが、数多くの著名(著名かどうかはまったく関係ないが)企業などからAPIやツール、クラウド環境の提供を受けていたことがわかる。
多くの人がそうだったと思うが、そのときは得も知れぬ高揚感に包まれ、ほぼ寝ないで夢中で作業した。自分たちも自衛隊のように、DMAT(災害派遣医療チーム)のように、何か出来ないかと思って。きっと本来は有償のツールを無償提供してくれた企業の人も同じ思いだったろう。
Hack For Japanはその後も積極的に活動を続けた。当初から徹底的にオープンにこだわりもした。
スタッフミーティングをストリーミングで発信し、議事録も直後には公開するようにした。ハッカソンの模様もストリーミングした。議論は当時はまだ生きていたGoogle WaveやGoogle Moderatorを使ってオンラインでも行うようにした。
ハッカソンという活動が普及したのはさまざまな要因があろうが、その一端はこのHack For Japanの活動もあるのではないかと自負している。
Hack For Japanでの活動は必ずしも成功ばかりではなかった。いや、むしろ失敗の方が多いだろう。だが、それで良いと思っている。コミュニティを綺麗にまとめることが目的ではなく、この未曾有の危機状況の中、果敢に試行錯誤を重なることが大事であり、これは一種のリーンだ。失敗から学び次に繋げれば良い。そう思い、さまざまな試行を重ねた。
活動の記録はHack For Japanのブログを見て欲しいが、Hack For Japanの活動はいくつもの形に昇華している。
震災復興や防災・減災とオープンデータは切っても切れないが、オープンデータを使ったハッカソンを行ったり、そのときのAPIが使いにくいところが多かったということで政府に提言書を提出したりもした(これは政府はもっと言っても良いと思うが、結果、きちんとAPIは改善された)。
さらにその発展でいわゆるシビックテック(CivicTech)の方向にも進んだ。
Hack For Japanでメインのスタッフの1人である関 治之さんは災害支援だけではなく、もっと広く市民の行政支援のような形での技術を考え、さらにはハッカソンという一過性のものではない形ということで、Code for Japanを立ち上げた。Hack For JapanをCode for Japanにするという話もあったのだが、話し合った結果、別の組織となった。今でも良好なパートナーである。
災害支援という面でも、開発だけが支援の形ではないだろうとうことで、IT×災害コミュニティというものを立ち上げた。これは2013年にスタートしたものだが、無事先月3回目の会議を終了したところだ。毎回100名を超える参加者に集まってもらっている。このコミュニティおよび会議は「ゆるくつながる」ことを目的としたもので、いろいろな形でのITでの災害支援を行っている個人や団体がつながりを求め募っている。
このIT×災害から派生したプロジェクトも出てきた。
このアドベントカレンダーを主催している情報支援レスキュー隊(IT DART)と減災インフォだ。
それぞれの紹介はちょうどその先月行われた会議用に用意したプロジェクト紹介ページがあるので、そちらを見て欲しい。
駆け足で2011年からの変遷を紹介したが、正直話せることはまだまだある。自分の記憶も曖昧になってきているところも多いほどだ。
こう書くと、多くのエンジニアが参加している活動と思うかもしれないが、まったくそんなことはない。上の2つのメインプロジェクトやIT×災害というコミュニティの技術を支えているのはせいぜい数名のエンジニアだ。
ここに我々の危機感がある。
日本は10年に1度は日本全体に影響を与えるほどの災害に襲われている。2011年からすでに4年半。2020年までの東京オリンピックまでに再度大災害が起きる可能性は少なくない。
その時、我々はどの程度311からの学びを活かし、ITエンジニアとして対応できるだろうか。2011年以上にITが社会インフラとして定着した中、被害を最小限に抑え、迅速に復旧させることができるだろうか。1人の人間として、復旧・復興の力になれるだろうか。
災害支援のITなどというとつまらないと思われるかもしれない。確かに面白いことばかりではない。最先端の技術を使えるわけでもない。
だが、災害の現場というのは、実社会の縮図だ。きちんと利用者の意図を組まない限り、使ってもらえるシステムにはならない。開発者の独りよがりにならないようにするためには、利用者のことを知らねばならず、これはUXが重視されるようになった昨今のシステムと同じだ。
かように、ITでの災害支援に携わることは、使えるものを作るというモノづくりの基本をシビアな状況で体験できることなのだ。
最初に紹介したHack For Japanのブログの中にも紹介されている「風@福島原発」というアプリケーションのことを是非知ってほしい。
これは福島原発からの距離とその場所の風向や風力をAndroid上で可視化できるようにしたアプリケーションだ。当時新聞などにも良く取り上げられた。記事の中で福島に住む児童の母は「これが無いと外出できない」とさえ言っていた。
利用者が増えると、いろいろな機能拡張要求が送られてきた。「XXXも入れると良いと思います」、「YYYという方向にも拡張できるのではないでしょうか」。だが、制作者の石野さんはそれを断った。ミニマルデザイン。UXデザイナーでもある彼は製品のコアデザインに拘った。
このアプリケーションの話をさらに続けさせて欲しい。
このアプリケーションの開発者の願いは
「いつかこのようなアプリケーションがいらなくなる日が来ること」
だ。そのため、アンインストールされることがゴールだ。
本当の目的。それも極めて崇高な。手段と目的がわからなくなり、本当に利用者のことを考えるのではなく、儲かることだけ考えるようなアプリケーションなども多い中、このようなことを純粋に考えられる機会はそうそう無い。ユーザーをシャブ付けにしてお金をむしりとろうというようなことを考えているアプリケーション開発者は一度地獄に落ちると良いと思うほどだ。
開発プロセスにおいても、小さく始めて大きく育てる、リーン開発が重要だ。また、ボランティアベースであるため、ソースコードはオープンソースにするか、いつでも引き継げるようにしておくことが望まれる。必然とポピュラーなクラウドの利用が多くなる。開発が楽になるツールは使う(BaaSなど)。災害支援に限らないベストプラクティスがそこにはある。
結局、このような活動は人間がなぜ生きるのかという思いにも繋がる。自分で言うのもおこがましいので、イベントでご一緒させていただいたMITメディアラボ副所長の石井教授からいただいた言葉で締めさせてもらいたい。
人はお金や名声だけのために生きているのではありません。私たち技術者は、技術者だからこそできることを通じて、社会に貢献し、自分の生きていることの証を,自己の存在証明を求める旅をしているのだと思います。
全文はこちらから。
昨日から始まったこのアドベントカレンダーの記事のいくつかが、あなたの自分の生きていることの証を見つける手助けになれば幸いだ。
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