情報支援レスキュー隊 / IT DART (Disaster Assistance and Response Team)

日本沈没とシン・ゴジラ

投稿者:MiyagawaShoko - 2016/12/19

今日もシン・ゴジラの話題ですが、今回は2006年にリメークが公開された小松左京原作の「日本沈没」と対比をしながらよもやまばなしを。

日本沈没とシン・ゴジラ、じつはどちらも監督は樋口真嗣さんです。日本をおそった未曾有の危機を扱いながら、いろいろなところで視点が違ってきているのは、原作者の違いと、もうひとつは2011年以前か以後か,ということがあると思います。

1) 市民の描かれ方、政治家との対立
日本沈没では、市民はあくまでも無辜な存在として描かれています。一人一人がちいさな生活を営み、おおきな災害に巻き込まれ、難民化して日本をさまよい歩きます。政治家は特権階級として描かれ、多くの市民が国外へ脱出しようと空港に押しかけブロックされる中、大臣の家族がヘッドホンで音楽を聴きながら専用機に乗り込む姿が描かれています。シン・ゴジラでは、市民はゴジラが去った翌日にはしたたかに日常を取り戻し、再襲の時は政府の指示に従って粛々と避難行動を取っています。政治家は、それぞれの立場はあるものの、滅私して国家の危機に相対しています。

2) 緊急地震速報
日本沈没では、地震波が届く数秒前に、技官が「東京地方の想定震度は6強、、、5、4、3、きます!」と叫ぶシーンがあります。いまでは当たり前になった緊急地震速報が、当時の最新技術として描かれています。緊急地震速報が全国展開されたのは2007年。意外と最近のことですね。もし東日本大震災の時に緊急地震速報がなかったら。。。と考えると、ぞっとします。シン・ゴジラでは、緊急地震速報は出てきませんが、そういえば、緊急地震速報のあの切迫感のあるチャイムの音を作曲したのは伊福部達さん。そう、「ゴジラ」のテーマを作曲した伊福部昭さんの甥御さんなんですね。

3) 避難
日本沈没は、日本列島が壊れていくほどの大災害です。政府は災害対策に打つ手なく、市民は難民化して子供や老人は若者に背負われながら山を越えて避難していきます。それに比べて、ゴジラは所詮は局所災害です。核攻撃まで含めれば大規模災害ですが、それでも被害の大きさは予測可能です。高速道路は避難者を移送するためのバスでいっぱいになりますが、そこには自家用車は映っていません。避難は行政主導で計画的に実施され、恐らく個人での避難は禁止されているのでしょう。それにしても、360万人を避難させるというのは至難の業です。おそらくどの程度のバスやヘリが必要かは、試算されていたのではないでしょうか。小松左京さんが日本を沈めるために「日本の重さ」を計算したように(注)。

4) リアリティ
シン・ゴジラと日本沈没の一番の違いは、リアリティの軸足の置き方だと思います。日本沈没は、小松左京さんがその力と希望を最後まで信じた「科学」にリアリティの根拠を置き、ありそうもない(と当時はそう思われていた)、日本沈没を地球科学の最先端の研究成果を使いながら描いています。一方で、シン・ゴジラは、科学的な説明はさておき、官僚の制度や政治的意思決定の仕組み、日米関係などの行政と内閣の構造を徹底的にリアルに描き出すことで、ストーリーにリアリティを持たせています。この違いは、「何が現実か」という原作者の思いもさることながら、「私たちはこれからどこに希望を置くのか」ということを示唆しているようにも思えます。

あ、ラブストーリーがあるかどうかは、これは完全に原作者の趣味(というか生き方?)だと思うわ。

というわけで、今日はここまで。

(注)小松さんは、日本沈没を書くときに、日本の重さを知りたくて国土地理院に行って質問したところ、「おかしな人対応部署」に連れて行かれて追い返されたそうです。その後、カシオの電卓が登場し(当時は1桁1万円)、計算尺の代わりにそれを使って日本の重さを計算し、コンピューターのパワーを実感したのだそうです。